壮絶なる闘病生活の末、平成28年7月31日に61歳という若い年齢でこの世を去った千代の富士/九重親方(本名:秋元貢)さん。
30歳という年齢から連勝・連覇を重ね、数々の記録を作り上げた彼の死去は多くの人を驚かせました。
彼を惜しむ声は多く、角界だけでは無く多くの著名人が葬儀・告別式に参列し、ネット掲示板である2ちゃんねるでも追悼のスレッドが立つなど、如何に千代の富士さんが偉大な人物だったのかがわかります。
千代の富士関の出身は北海道で実家は漁業を営んでいました。
家業の手伝いによって自然と鍛えられた体は、多くのスポーツをこなす運動神経を持っていましたが、実は相撲は嫌いだったと言われています。
そんな千代の富士さんでしたが、引退後は九重親方として部屋を受け継ぎ、千代大海を育て上げるなど、角界を支える事となりました。
プライベートでは1982年に新藤久美子さんと結婚し・・・
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千代の富士の家族は嫁と子供が何人?
あれだけの偉業を成し遂げた千代の富士さんですが、実はそもそも、家族も本人も相撲の世界へ入ることには反対だったそうです。
飛行機に乗せてあげるという言葉を聞き、どうしても飛行機に乗りたいために相撲界へ脚を踏み入れた
というエピソードがあります。
入門当時、まだ幼かったことがよくわかりますね。
少し話が逸れますが、そんな思いで九重部屋へ入門した千代の富士さんを代表するものと言えば、あの鍛え上げられた筋肉の鎧ではないでしょうか。
元々脱臼グセのある体であり、それを抑えるためにトレーニングを開始してあの鋼のような体を作り上げたそうです。
あまりにも鍛え上げられた体を見て、ステロイドなどの薬でドーピングをしているのではないかとも言われていた程です。
もちろんそのような事は無く、あの肉体は彼の努力が作り上げた事には間違いありません。
引退については、貴乃花と貴闘力に負けたことによって彼の相撲に対する心が変わり引退会見を行い、力士としての幕を閉じる事になりました。
最後の言葉として体力と気力の限界
とコメントを残していることから、千代の富士関がいかに体を酷使して相撲の世界に臨んでいたかが伺えます。
さて、1982年に新藤久美子さんと結婚をした千代の富士関。
彼と妻のなれそめは福岡にあるスナックで出会ったことで交際に発展したと言われています。
では夫婦の間には何人のお子さんがいるのでしょうか?
現在では3人の子供に恵まれて、どのお子さんも多方面で活躍をされています。
長女はDJやショップスタッフとして活躍をされている優(ゆう)さん。
次女は最近では「火曜サプライズ」にも出演したモデルの梢(こずえ)さんです。
長男はアパレル関係で活躍されている剛(つよし)さんで、息子さんは相撲取りになると小さい頃には言っていたようです。
どのお子さんも画像や写真を見てみると美男美女で、父親のカッコいい所を皆受け継いでいるように感じますね。
娘が突然死?
実は夫婦の間には三女となる娘がいました。
娘の名前は愛ちゃんと言い、生後4ヶ月という短さでこの世を去っています。
原因はSIDS(乳児突然死症候群)による事故死でした。
このSIDSは寝ている間に突然死をしてしまうという病気なのですが、未だに解明されていない所が多くどういった原因で亡くなるのか明確にわかっていません。
突然の事故により三女を失った千代の富士さんは相当な衝撃を受けており、その姿は二度と土俵で闘う事が出来ないかもしれないとまで言われました。
しかし、彼は立ち上がり急死した娘を思い闘い続け、その年に行われた場所ではなんど優勝を飾ったのです。
これは彼の身体的な強さもありますが、心の強さも感じ取れるエピソードですね。
モデル?
先ほど書いた3人のお子さんについて、秋元梢さんは女性誌やエルメスなどでモデルを行っており、現在ではバライティ番組などのテレビにも出演されています。
実は息子の剛さんもアパレル関係からモデルをしており、長女の優さんもDJとモデルをしています。
やはり父のカッコよさと母の美しさを受け継いでいるので、モデルをしているのも納得がいきますね。
また、千代の富士さんもモデルとなっている事はご存知ですか?
と言ってもファンション等では無く、漫画「キン肉マン」に登場する超人の1人である「ウルフマン」のモデルになったのです。
ウルフマンも本人と同じく鋼の肉体に身を包んだ超人で、連載が終了しても根強い人気を持つ超人となりました。
テレビアニメになった時には千代の富士さんへの配慮もあって「リキシマン」に名前が変更になっていますが、それでも人気は変わる事は無かったようです。
がんで激やせ、死去の死因は?
千代の富士さんは2015年にすい臓がんを発症し、早期発見ではあったものの体重が減少するなどの症状が表れており、約13キロも体重が減ったそうです。
身長も高く筋肉質だった体も病魔によってやせ細り、激やせと言っても過言ではない状態にまでなっていました。
ネットにはあまり写真がないようですが、その時に撮られた写真では全盛期の頃の力強さがほとんど感じられなかったそうです。
なんとか早期発見での手術や治療が出来たため、親方として再び活動をしていました。
しかし、2016年の名古屋場所にて4日目から体調が一変し、机に突っ伏すなどの姿が目撃されています。
早期発見にもかかわらず、千代の富士さんの死因となってしまったすい臓がんとはどういった病気なのでしょうか。
まずこのがんは一般的に手術で全て取り除く事が大変困難な病気であり、早期発見での手術であっても5年後生存率は他のがんと比べて大変低い病気でもあります。
また、リンパや他の臓器にも転移するスピードも早く、手術が無事成功しても約70%は再発をしてしまう可能性もあるようです。
彼は抗癌剤での治療は行わず、鹿児島にあるUMSオンコロジークリニックという病院で最先端医療である機械を使った放射線治療を行っていたようですが、既に病状は悪いステージに上がっており肺や胃に転移をしていたと言われています。
最後まで闘い続けた千代の富士さんですが、嫁や息子たちに見守られながら眠るようにこの世を去ったと梢さんはネットでコメントを発表しています。
一時代を築いた最高の力士である千代の富士さん。
現役時代にはあまりの強さに週刊誌や元力士である板井氏によって注射(相撲用語で八百長)を疑われる事もありました。
これについては事実が未だに明らかになっていませんが、彼が実力で勝ち取ったものと信じたいですね。
また、当時の彼の人気は凄まじく、松山千春さんが主題歌を歌う「千代の富士物語」というドラマまで作成された程でした。
動画サイトに本編がありますので、興味のある方は検索してみて下さい。
通夜や葬儀は2016年の8月6日、7日で行われ、多くの方に見送られながら旅立って行った九重親方。
彼の記録や栄光はこれからも多くの人に語り継がれることでしょう。
末筆ながら千代の富士関のご冥福を、心からお祈りいたします。