野田聖子の子供の病気、現在は元気に青山の小学校(特別支援学校)から普通学校に転校

第3次改造内閣で総務大臣に就任した自民党衆議院議員の野田聖子さん。
前回の記事で、野田さんが出産に至るまでのパートナーとの結婚と離婚、そして現在の夫と事実婚だった理由、それから不妊治療を経て妊娠し、出産に至るまでの経緯を取り上げました。

2011年1月6日に野田さんが出産した第一子は、出生前から重たい病気を抱えていました。
その病気とは・・・

目次

野田聖子の子供の病気、現在は元気に青山の小学校(特別支援学校)から普通学校に転校

現在の総務大臣野田聖子さん。


1960年9月3日生まれ。現在59歳です。

結婚し、子供が一人。

こう書くとなんでもない当たり前のことのように感じますが、しかしここに至るまでの経緯はとても「当たり前」のことではなく、そして今なおそれは続いています。

野田聖子が出産に至るまでの経緯はこちらの記事をお読みください
野田聖子の結婚と離婚、現在の夫や事実婚の理由、不妊治療、妊娠から出産の経緯

野田聖子の不妊治療から出産までの経歴

野田さんが出産するまでを簡単に振り返ると、2001年から国会議員の鶴保庸介さんと籍を入れない事実婚をします。

事実婚を行ったのには理由がありました。

夫婦別姓が離婚の原因

跡取り娘で夫婦別姓を望む野田さんに対し、鶴保さんは夫婦別姓反対という立場の議員でしたので仕方なくと、野田さん自身が手記で語っています。

夫婦は事実婚関係であったため、養子を迎えることができません。

野田さんは跡取り娘ということもあり、野田の血筋を絶やさないことや、野田の姓を残すことにこだわりがあったと思うのですが、子供を産みたいと望んだ野田さんはそこから不妊治療を始めます

結婚当時40歳

2004年には私は、産みたいという手記を出版されています。

しかし、鶴保庸介議員との事実上の婚姻関係は、2007年に解消されます。

理由のひとつには、この不妊治療が原因だったとのちに鶴保議員は語っています

野田聖子の現在の夫

その後、野田さんは現在の夫、木村文信さんという男性と再び事実婚となります。

この方は野田さんが出産後に野田姓に入りましたので現在の名前は野田文信さんです。

野田さんはこの文信さんとの間でも不妊治療に臨みますが、50歳に近い野田さんの卵子では受精が難しい上に、野田さんには卵管閉塞もありました。

野田さんはアメリカで卵子提供による体外受精を選択をします。

アメリカ人女性の卵子と夫である木村文信さんとの精子で体外受精。

その受精卵を野田さんの子宮で着床させます。

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不妊治療に成功

そして50歳の誕生日を迎える2010年野田さんは妊娠年齢49歳不妊治療に成功しました。

これまでの経過は、合計で体外受精14回、流産8回だったそうです。

妊娠中も入院を余儀なくされ早産予防の点滴を受けながら過ごしますが妊娠を公表した段階ですでに胎児に臍帯ヘルニアがあることがわかっていたそうです。

胎児には生まれる前から病気が

また、胎児の心臓に 疾患があることもわかりました。

心臓に空いた穴。
本来2本あるべき血管が1本しかない。

このとき、染色体異常の可能性も示唆されます。

しかし野田さんは出生前検査は受けず出産直前には

  • 妊娠高血圧症候群
  • 羊水過多症
  • 肝機能低下

などの症状を呈し、その数日後に帝王切開による緊急出産となりました。

野田聖子の息子が誕生、しかし子宮摘出

2011年1月6日。
出産年齢50歳。

2154グラムの男の子が誕生。

しかし、誕生直後から子供はNICU(新生児集中治療室)へ。

野田さんの方は公式ブログで出産の報告もされていましたが、その数日後、出血が止まらず、後日、子宮摘出となりました。

ここまでが出産に至るまでの経緯です。
ここから、今日の記事では子供の成長について追っていきたいと思います。

野田聖子の息子の病名と障害

予定日より一か月早い2011年1月6日に2154グラムの体重で取り上げられた赤ちゃんの性別は男の子でした。

名前は野田真輝(まさき)くん。

生まれる前の胎児の頃から臍帯ヘルニア心臓疾患(極型ファロー四徴症)があり、誕生後は食道閉鎖症もわかりました。

出産直後、臍帯ヘルニアと食道閉鎖症の緊急手術があり、5月には極型ファロー四徴症の手術。

大変な手術を乗り越えた真輝くんでしたが、10月には突然の呼吸停止に襲われ、一命は取り留めたものの脳梗塞により右手右足のまひが残ります。

気管軟化症によって自力呼吸ができないため、11月には気管切開をし人口呼吸器が付けられました。

真輝くんは声を失います。

これらの病気のひとつひとつに大きな手術が必要で、真輝くんが受けた手術の回数は生後一年の間に9回。
5歳までには11回になりました。

身体に繋がれたチューブの数は最大で17本にまで及ぶほどでした。

2012年にテレビ放映されたドキュメンタリー、私は母になりたかった ~野田聖子 愛するわが子との411日~では密着取材によってそんな真輝くんの姿が放送されました。

翌2013年にもフジテレビで野田さんと息子さんのドキュメンタリーが放映されました。

野田聖子の子供がかわいそう

多くの視聴者が野田聖子の子供がかわいそうという感想を持ったようで、野田さんの出産の是非について批判的な意見も多く見られました。

今でも、ブログや2chなどではあまり好意的な意見は見られないようです。

その理由の一つに、病院に入院している息子がいながら政治活動に忙しく、出張は多く、見舞いにも行かないという彼女の姿が、母親としてどうなのかといった批判も多く見られました。

真輝くんは結局、2歳3カ月になるまで病院から出られないまま過ごすことになりました。

退院し自宅へ

2歳3カ月、病院を退院し初めて自宅で過ごすことになった真輝くん。

2013年の春の事でした。

しかしそれは、完治しての退院ではなく日常的な医療的ケアが必要な生活です。

真輝くんには胃ろうによる食事気管切開による痰の吸引など、数時間おきのケアが必要で、野田さんの場合は子供の父親、現在の夫が韓国料理のお店をたたんで真輝くんのケアを担ったそうです。

しかし退院後にも一度、息子さんが心肺停止になるなど、大きなストレスを抱えたまま、喧嘩の絶えない生活だったそうです。

月50万円の看護師費用

その後、野田さんは息子を預かってくれる保育園を探しますが、しかし、医療的ケアが必要な子供を預かってくれる施設は少なく、そして高額です。

野田さんは自分で看護師を雇い、保育園に息子さんを通わせていました。

イメージ画像

一般家庭にはとてもできない話ですね。

出生前診断と中絶に対する質問に対しても、インタビューにこのように答えています。

私は、その判断については是も非もないと思う。障害のある子を育てていけるかどうかという環境にかかっているから。この国の空気はまだ冷たい。私がおなかの子に障害があるってわかって産むことを決めたのは、育てていける環境にあったから。でも環境がない人もいる。AERA https://dot.asahi.com/aera/2016110400084.html?page=3

育てて行ける環境(経済力)があるから生んだ。
それが野田さんの選択ですね。

保育園も3歳の最初の頃は週に1日だけ、障害の子供たちが通う保育園に通っていたそうです。

そして子供の成長面では、この頃すでに、自分で声を出せるようになっていたのだとか。

人工呼吸器を付けているために気管を切開していますから、声を出せないのですが、誰も教えていないのに自分で声を出す方法を発見しました。のどのカニューレの管のあなをふさぐと、声帯が震えるんですね。ずっとふさいでいると窒息してしまうんですが、声を出したいときに自分の手であなをふさいでいます。「はい」とか「おはよう」とか、言うことができます。ハフィントンポスト http://www.huffingtonpost.jp/seiko-noda/seiko-noda_b_5074332.html

子供ってすごいですよね。

息子の声を聞くことができるようになった。
この少し後には、歩けるようにもなったそうです。

野田聖子の息子の小学校は特別支援学校

2017年4月は、野田さんの息子さんも小学校に就学する年です。

その前年、2016年10月のブログでは小学校への就学相談についての記事が書かれています。

それによると子供の小学校は特別支援学校に決めたこと。

野田さんのブログによると2016年現在の子供の病気は、身体障害一級(心臓疾患)二級(脳梗塞右麻痺)中程度の知的障害があるとのこと。

野田聖子の子供はハーフでダウン症ではない

アメリカ人女性の卵子によって生まれた真輝くんは、ハーフですので、少し特徴のある顔立ちをしています。
そのためか、たまに噂されていますが、野田さんの息子さんはダウン症ではありません

ちなみにこの中程度の知的障害というのはこのような状態です。

中度知的障害
中度知的障害は、おおむねIQが35~50の知的障害をさします。言語発達や運動能力の遅れがあります。 身辺自立は部分的にはできますが、全てをこなすことは困難です。

中度知的障害の具体的な特徴としては、
・指示があれば衣服の着脱はできるが、場合に合わせた選択・調整が困難
・入浴時、自分で身体を洗えるが、プライベートゾーンなど洗い残しがある
・お釣りの計算が苦手
・新しい場所での移動・交通機関の利用は困難
・ひらがなでの読み書きはある程度可能
などが挙げられます。 LITALICO(りたりこ)発達ナビ https://h-navi.jp/column/article/73

しかしこれは、出産までの経歴を考えれば、仕方がない面もあると思います。

また、野田さんは肢体不自由児ではなく知的不自由児のクラスを選んだそうなので、今後も医療ケアのできる看護師さんを雇いながら、小学校に一緒に行ってもらうということを続けていく予定のようです。

野田聖子の息子の学校は青山特別支援学校

野田さんの息子が2017年4月に入学した学校は、ブログにアップされた写真から、東京都港区青山にある『東京都立青山特別支援学校』であることがわかります。

1学期は欠席なしで通ったそうです。

もちろん現在も病院には定期的に通い、身体のケアをしながらの通学とは思いますが、真輝くんがこんなに元気になるなんて、生まれて最初のドキュメンタリーを観た時にはとても想像できなかったかもしれません。

今その動画を見ると、きっと別の意味で感動するのかもしれませんね。

現在も真輝くんは母親である野田さんのアメブロにも頻繁に登場していますし、野田さんのブログには子供の画像がたくさんあります。

野田聖子の息子は普通学校に転校

野田聖子さんの息子さん、2019年現在の最新情報としては、春からこれまで通っていた支援学校を転校し、支援学級のある学校に通うことにしたそうです。

特別支援学校には2年生まで通ったということですね。

現在通っている学校は、野田さんがブログでリアル義務教育の現場と言っていますので、普通学校、そして学校既定の帽子があるようですので、私立の小学校ではないかと思います。

画像引用:https://ameblo.jp/seiko-noda/day-20190414.html

ブログを拝見していると、どんどんできることが増え、最新情報でははじめてのおつかいとして、一人で自宅を出てジュースを買って帰ることができたそうです。

これから健常の子供たちとの触れ合いもどんどん増えてきて、さらにできることが拡がっていきそうですね。

野田聖子の息子の食事は胃ろう。給食は?

野田聖子さんの息子さん、食事は経口ではなく胃ろう(経管栄養)だったと思いますが、現在はどうなのでしょうか?

野田さんのブログを拝見すると、嚥下訓練をしている真輝くんの画像が掲載されています。

画像引用:https://ameblo.jp/seiko-noda/day-20190414.html

本当に子供の生命力と成長力は素晴らしいですね。

野田さんが書いているように、いつか皆と一緒に給食を食べられる日が来るといいですね。

野田聖子の息子の障害、これから

とかく批判されている野田聖子さんの子供問題。

画像引用:https://ameblo.jp/seiko-noda/day-20190414.html

前回の記事でも書かせていただきましたが、すでに生まれている命に関しては守り、育てていく以外の選択肢はありません。

ある子育て中の母親がご自身のブログで
生まれた直後のテレビを観た時は、身勝手な野田聖子という母親に怒りを覚えたが、息子が成長した姿を見たとき、怒りさえも解けていき喜びの感情を覚えた
というようなことを書いていました。

そもそもそんな選択をすることがおかしいと怒りを感じたところで、すでに子供は生まれているのですから何をいっても仕方ないわけです。

ならば人として、他人の子であっても子供の成長を喜ぶ人間でありたい。
そう思われた方も多いかもしれません。

相模原で起きた障害者施設での痛ましい殺傷事件もありました。

野田さん自身もこの事件については他人事ではないと感じたと恐怖を受けたことを語っていましたね。

この出産で、多くの批判を受けた野田さんですが、それらをものともせず今なお、我が子を政治活動に巻き込み、場合によっては、さらなる批判も引き起こしています。

ある人がこんなことを言っています。

満員電車の問題をどうにか解決したかったら、政治家全員を電車通勤にすればいい

日本という国をどうにかしようとしている国会議員の人たちが、送迎付きの車に乗り、間違っても満員電車で困るようなことがない状態で、何かが変わるわけがない。

日本をどうにかしようとしている人たちが困ってないのだから。

まったくその通りだと思います。

子供を通して社会を変える

野田さんはそういう意味で政治家として当事者になれたのはよかったと語りました。
ご本人が、子供を預けられなくて困っていることや、今の子育ての問題について多くのことを痛感したそうです。

私個人としては野田さんという人の選択も、お金があるからできる子育ても、諸手を挙げて賛成する気にはなりません。

しかし、野田さんが変えようとしている日本は少なくとも、障害のある人にとって住みやすい国であることは間違いないでしょう。

そしてその原動力には、母の胎内にいる時も生まれて来た後も、大きな苦しみに耐えながらその小さい体で多くの事を訴えてくれる、一人の子供の姿があることを、頭に置いておきたいと思います。

何よりもすごいのは、野田聖子さんなのではなく、その息子さんであることを。
これからも真輝くんが健やかに育っていくことを願っています。



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